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カトウ

夢見るバレリーナ


LINEの着信に、どきっとした。

関わりを避け、あえて距離をおいてきた人からのメッセージだった。

「バレエの発表会、よければ観にきてもらえませんか?」

その人の娘さんの発表会へのお誘いだった。

どうして私に…?

かけひきのだらけの母親同士のつき合いにウンザリしていた私は、相手をまず疑った。

疑いながらも、不思議と胸にはふんわりと温かい感覚がある。

ネガティブな思いとは裏腹の感覚があることに戸惑った。

この気持ち、なんだろう。

バレエか…

そういえば私、小さい頃、バレエを習いたいって思ってたな。

5歳くらいの私は、バレリーナを夢見ていた。

トゥシューズを履き、軽やかに舞う自分を思い描きワクワクしていた。

「バレエ、習いたい」

そう母親に伝えたけれど、当時の暮らしは裕福ではなかった。

だいたいのことは「できない」と簡単にあしらわれて終わる。

それでも私は本気で、子どもなりに確固たる意志で伝え続けた。

そんな娘を不憫に思ったのか、ある日親はおもちゃを買ってきた。

台の上のバレリーナが、スイッチを押すとクルクル回転するものだった。

それを手にしてとても喜んだ。

でも、それは一瞬のこと。

そうじゃない。

バレリーナを回したいのではなく、自分がバレリーナになって回りたいのだ。

結局、小さな私の意志が尊重されることはなかった。

思いを踏みにじられ、傷ついていた。

おもちゃを与えて終わりにしてしまおうという、その浅はかさが許せなかった。

親にとって私の価値は、その程度のものでしかないのか。

当時の子どものマインドでは、それを自覚することが出来なかった。

思いを自覚することなく、諦めることを覚えた。

終いには、他人は自分を苦しめる存在と思うようになった。

それは、尊重されない苦しみからきていた。

親もその当時は精一杯で、致し方なくだったんだろうな。

習いごとをさせてくれなかったのは、私のことを嫌いだったからじゃない。

親も親なりに私のことを思い、どうにかしようと考えたはず。

不器用な愛情だった、それだけのこと。

「発表会、喜んで行かせて頂きます。」

そう返信したら、涙がこぼれた。

小さな私が私の中で、笑顔なのに泣いている。

踊ることはできないけど、本物のバレリーナを観ることができる。

観れるの、嬉しい。って泣いている。

諦めて、いじけて、怒って、うずくまっていたインナーチャイルドは今

心の中でトゥシューズを履き、レッスン着を身にまとった。

胸を張り、ほっぺたをツヤツヤと光らせ、目は輝き、いきいきとした表情をしていた。

頑張り屋さんの小さな私、一緒にバレエを観に行こうね。

絶対行く。約束だよ。

自分が尊重されているという感覚が、はっきりそこにはあった。

発表会に誘ってくれた人は、親切でお節介なくらい面倒見のいい人だった。

その姿は、まるで親のようだった。

そういうタイプの人と親を重ね、「傷つけられる」と勝手に警戒していた。

人が苦手と感じていたのは、今の私というよりも、私の中の小さな私。

なかなか触れることのできない世界に手招きしてくれた人。

その人は、他人の閉ざされた心の扉を開けたなんてことは、ちっとも知らない。

でもその行為に、かつての私が助けられた。

私を見つけてくれて、幸せな気持ちを思い出させてくれて、本当にありがとう。

                      END

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