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夢見るバレリーナ

  • カトウ
  • 2016年8月31日
  • 読了時間: 3分

LINEの着信に、どきっとした。

関わりを避け、あえて距離をおいてきた人からのメッセージだった。

「バレエの発表会、よければ観にきてもらえませんか?」

その人の娘さんの発表会へのお誘いだった。

どうして私に…?

かけひきのだらけの母親同士のつき合いにウンザリしていた私は、相手をまず疑った。

疑いながらも、不思議と胸にはふんわりと温かい感覚がある。

ネガティブな思いとは裏腹の感覚があることに戸惑った。

この気持ち、なんだろう。

バレエか…

そういえば私、小さい頃、バレエを習いたいって思ってたな。

5歳くらいの私は、バレリーナを夢見ていた。

トゥシューズを履き、軽やかに舞う自分を思い描きワクワクしていた。

「バレエ、習いたい」

そう母親に伝えたけれど、当時の暮らしは裕福ではなかった。

だいたいのことは「できない」と簡単にあしらわれて終わる。

それでも私は本気で、子どもなりに確固たる意志で伝え続けた。

そんな娘を不憫に思ったのか、ある日親はおもちゃを買ってきた。

台の上のバレリーナが、スイッチを押すとクルクル回転するものだった。

それを手にしてとても喜んだ。

でも、それは一瞬のこと。

そうじゃない。

バレリーナを回したいのではなく、自分がバレリーナになって回りたいのだ。

結局、小さな私の意志が尊重されることはなかった。

思いを踏みにじられ、傷ついていた。

おもちゃを与えて終わりにしてしまおうという、その浅はかさが許せなかった。

親にとって私の価値は、その程度のものでしかないのか。

当時の子どものマインドでは、それを自覚することが出来なかった。

思いを自覚することなく、諦めることを覚えた。

終いには、他人は自分を苦しめる存在と思うようになった。

それは、尊重されない苦しみからきていた。

親もその当時は精一杯で、致し方なくだったんだろうな。

習いごとをさせてくれなかったのは、私のことを嫌いだったからじゃない。

親も親なりに私のことを思い、どうにかしようと考えたはず。

不器用な愛情だった、それだけのこと。

「発表会、喜んで行かせて頂きます。」

そう返信したら、涙がこぼれた。

小さな私が私の中で、笑顔なのに泣いている。

踊ることはできないけど、本物のバレリーナを観ることができる。

観れるの、嬉しい。って泣いている。

諦めて、いじけて、怒って、うずくまっていたインナーチャイルドは今

心の中でトゥシューズを履き、レッスン着を身にまとった。

胸を張り、ほっぺたをツヤツヤと光らせ、目は輝き、いきいきとした表情をしていた。

頑張り屋さんの小さな私、一緒にバレエを観に行こうね。

絶対行く。約束だよ。

自分が尊重されているという感覚が、はっきりそこにはあった。

発表会に誘ってくれた人は、親切でお節介なくらい面倒見のいい人だった。

その姿は、まるで親のようだった。

そういうタイプの人と親を重ね、「傷つけられる」と勝手に警戒していた。

人が苦手と感じていたのは、今の私というよりも、私の中の小さな私。

なかなか触れることのできない世界に手招きしてくれた人。

その人は、他人の閉ざされた心の扉を開けたなんてことは、ちっとも知らない。

でもその行為に、かつての私が助けられた。

私を見つけてくれて、幸せな気持ちを思い出させてくれて、本当にありがとう。

                      END

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