変な日。でも答えは出さなかった。
- カトウ

- 2月16日
- 読了時間: 3分

人は、出来事に無理に意味をつけてしまう。
最近、いろんな人と話しては、そう感じている。
昨日は、なんだか変な日だった。
1つめは、ときどき行っている温泉のこと。
昔からの天然の湯なはずが、体感的には水を沸かしたお湯。
塩素の匂い、肌のなめらかさも無く、体も温まらない。
設備が壊れたのか、それとも湯元の問題か。
2つ目は、宿の食べもののこと。
パサパサに乾き固くなった料理が一つ。
この料理の元々の状態は、前にも食べて知っていた。
楽しめなくなり、結果、胃の調子に影響した。
3つ目は、帰宅した頃のこと。
夫の仕事の関係先が火事、という知らせがあった。
火事の現場のショッキングさを私は知っていた。
夫は温泉で疲れが取れておらず、気になったので私も現場に同行した。
火事の原因は、消防や警察の調査後わかる。
安心のための休日は、落胆、心配、緊張の連続で
「今日に限って?」
そう思おうとすればいくらでも思えた。
だけど何故か、全部の出来事が遠く感じられていた。
そして4つ目は、現場からの帰り道のこと。
車を一時停止したとき、目の前を一匹のテンが通り過ぎた。
ヘッドライトに照らされ、金色の毛並がふわっと脇道に消えていった。
その瞬間、ざーっと右から左に何かが動く感覚が起こった。
「一日の出来事がどうでもよくなった」
と言いたいところだけど、そうではなく
「一日の出来事の流れが一度ほどけた」
に近い感覚だった。
そこには、意味もメッセージもなかった。
ただ、野生が目の前を通り過ぎた。
その後は帰宅し、ご飯を作った。
夜の9時を回っていて、胃に優しいものが食べたかった。
だし汁を作り、餅を刻んでおかきにし、出来上がったのは梅茶漬け。
あとは羊羹を一口分。
食べると、不思議と「今」に戻った。
昨日は結局、なにも解決していない。
温泉の理由も、料理の理由も、火事の原因も
全部わからないまま。
でも不思議と、最後はどこかに着地した。
心が整っているというか。
私たちはつい、出来事に「答え」を求める。
原因は何か。
学びは何か。
メッセージは何か。
でも、昨日は答えを出さなかった。
「野生が全部持っていった感」だけが残っている。
答えを出さなくても、説明できなくても
結局は、ちゃんと「今」に戻れたらいい。
答えを出すことが、全てじゃない。
答え探しが過ぎると
往々にして斜めに進み始め
根拠の薄いものまで証明しようと躍起になり
場合によっては自己陶酔もある。
外的要因の証明から、気づきは得られない。
今日の明け方の夢がまた、象徴的で
「シカゴ」と紙に書いている。
スペルは、Sで始まるのか?Cで始まるのか?
調べても調べても、その答えには辿り着かなかった。
私の生きる道に、Chicagoを通る予定は多分ない。
知る必要がないから見つからない。
そういう夢。
ただ寝て起きて、
ただ感じて、
ただ戻る、
それだけで十分な日もあるんだ。
答え探しの日だってある。
だけど、答えがなくていい日もあると
長々と書いたけど
今日は、それだけ言いたい。


