今年に入ってから、多いな~って思うのが
「キライ」というワード。
「キライ」になるってどういうことなのか。
元々、それが「好き」だった。
だから「キライ」になった。
元々、好きでもなんでもないものは「キライ」にはならない。
関心がないものには、「好き」も「キライ」も感じない。
だから、元々はそれが「好き」だったんだよ。
それを「好き」だった自分と
それを今「キライ」になった自分がいて
それがこうじて両極端な感情に振り回されている自分もいて
「好き」と「キライ」の真ん中が知れたらきっと
少し楽になれるんだと思う。
「受け入れる」とか「認める」とか「許し」って
そんなに複雑なことではないんだけど
自分で複雑怪奇なものに仕立てあげちゃってる。
それは、感じかたが両極端だからなのかもしれない。
思い込みが激しいからかもしれない。
「好き」って、とっても良いこと。
でも、過剰になってバランスを欠いたら、毒に変わる。
元々それを「好き」だった自分を見て。
そして「キライ」になった自分も同時に見て。
他人のせいじゃないよ。
自分の真ん中を知るために
まずは、それを「キライ」って言ってみる。
「キライ」だらけになったら、それはとても苦しいから
「キライ」はその都度一つだけ感じてみる。
小さなことからコツコツと。
それは、「キライ」になっちゃった自分を許すため。
それでは、楽しい連休を(•ө•)♡