先日、ある人から聞いたお話。
小学校高学年のとき、いじめにあった。
当時は辛かったはずだけど
どこかそれを冷めて見ているところもあった。
「ターゲットは次々変わる」
と、いじめを受けるのは自分だけじゃないと思っていた。
私もかつて同じ感覚を持っていた。
子ども時代にこの感覚を持っていた人が他にもいたのか、と
ちょっと驚いた。
私が小学校低学年の頃
いじめを趣味のようにしている女子グループがいた。
そのターゲットは次々に変わっていく。
「次はサトエちゃんね!」
というリーダー格の宣言の元、私へのいじめが始まった。
休み時間、グループ全員が私の机にツバを吐きかける。
あっという間に机はビシャビシャになった。
拭えきれないほど大量のツバを
先生が教室に来る前に、一人ハンカチで拭いた。
そのとき、驚いてフリーズした自分と
自分の中にもう一人、客観視している自分がいたのを覚えている。
「しばらくしたら、こいつらいなくなる」
実際、数週間後「次は○○ちゃんね!」とターゲットを変え
いじめグループは去っていった。
大人になった私が、その出来事を振り返って理解したことは
「あれは集団ショッピングだった」ということ。
きっと、大人に人扱いされず
物のように扱われていた子たちだったんじゃないか。
「人を人として」ということを知らないまま
次々と物を買うように
狩りをするように
ターゲットを決めては買い漁るような行為だった。
要するに、いじめの対象は
私じゃなくても誰でもよかったのだと思う。
そして、嵐が過ぎ去るのをじっと待った小さな自分に対して
トラブルの本質の分析を天然でやっていたところが偉い。
辛かったところ、よくやったね。
そう思った。
人は、生きているといろんなことが起こる。
その度、傷つく。
でも、そこを乗り越える力があった当時の自分と
今なお生き続けている自分を
過去を振り返ることができたあかつきには
どうか、褒めてあげてほしい。
他人のことは褒めなくていいから
自分のこと、褒めてあげてね。