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それぞれの世界の輪郭と現在地

  • 執筆者の写真: カトウ
    カトウ
  • 7月2日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月8日


今年の春先のある明け方、夢を見た。


舞台は、古い時代の日本の山村。

内戦の中、私は幼い娘を逃がそうとしていた。


目覚めてすぐ、私は夢の内容をメモしたらしい。

忘れていたけど、先日そのメモが出てきた。

メモには、今の自分と重なる部分があった。


夢の最後の場面は


戦いは終わらないまま、男が大木の上で笛を吹いている。

祈祷で使うような笛の音が響く中、私たちは合流する。


これからは、それぞれが生きていく。

娘が無事であることを、祈るしかない。


夢はそこで終わっていた。



あれから数か月。

現実は、夢ほど派手ではないけれど、

春からの出来事が、不思議なほど一つの物語のようにつながっていた。


予想もしなかった出会い、流れ、展開。

そのたびに考え、迷い、選び、動いた。



最近、たびたび思うのは

「やれることは、全部やった」


これは、自分を納得させる言葉というよりも

「自分が引き受けられる責任には限界がある」

ということを、ただ確認するような言葉だ。


夢の中の私が娘を守りきれたかどうかは、わからない。

逃がしたし、必要なものも持たせた。

だけどそこから先は、自分では決められない世界だった。



現実も案外、同じかもしれない。


私たちはできる限り考え、動き、伝え、祈ることはできる。

でも、結果までは支配できない。


だから「委ねる」という言葉には、諦めとは違う強さがあるのだと思う。


人は、できることと、できないことの境目で生きていて

そこを大きく越えてしまうと、


「うまくやれている」ような錯覚か、

「何もできていない」という停滞か、

そのどちらかに傾いてしまう。


でも現実は、

できることはあるし、できないこともある。

その両方を引き受けるしかない。


これは、諦めとはまた違った「受容」の形なんだと思う。



最近たまたま、統合失調症の方とお話しする機会が続いた。

その体験に触れるたび「世界は一つではない」と感じた。


世界そのものの輪郭は、人によって違う。

私たちは、目の前の現実を共有しているようでいて、それぞれ違う世界を見ている。


相手の世界を尊重しつつ、自分の世界に戻ってくる。

その往復ができるのは、幸せなことだと思う。


誰もが"自分という物語"の中で生きていて

ただ、その物語に出入りできる人もいれば、

物語そのものが現実になってしまう人もいる。


その構造は複雑で、とても繊細。

人間の不思議さであり、怖さでも、魅力でもある。



「この人には世界がこう見えているんだね」

そんなふうに立ち止まり 「委ねる」


これは、急いで答えを探し求めることよりも 大切にしたほうがいいこと。



夢の中で鳴っていた笛は、

戦いを終わらせる音でも、世界を変える音でもなく


自分がどこに立っているのかを思い出すための音だったと思う。



私たちは、それぞれの世界を少し離れて眺めることはできる。


一歩ひいて見る。

そして、自分の現在地はここ、と一呼吸置く。


それだけでまた、わからないことがあったって

自分の足で歩き始められる気がする。



あらためて自分の世界を眺めたり、立ち位置を確認したいときにも

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