top of page

それが妄想だったとしても

  • 執筆者の写真: カトウ
    カトウ
  • 7月17日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月20日


妄想とイメージの境目について、時々聞かれることを書きます。


ヒプノセラピーで感じたイメージを

「これって妄想ではないのですか?」


セッション直後のこの質問

「そこに疑問を持ってくださったんだ」と嬉しくなる反面


実は、若干困る。

なぜかというと、即答できない部分もあるからです。



妄想、想像(イマジネーション)、直感、記憶、思い込み

似ているようで、それぞれ少しずつ違っていて


この界隈は、いろいろな考え方があるので

興味がある方は、ぜひ検索してみてください。

きっと「そんな考え方もあるんだ」と面白く読めると思います。



私から見ると、妄想も、想像も、思い込みも、記憶も、イメージの中には全部あって

セッション中は、その人の配合割合で混ざり合っている。


例えるなら、

その人のいろんなものがマーブル模様やグラデーションになっている感じ。

もしかすると人の心は、そんなにきれいに線を引けないものなのかもしれないです。


だから「ここからが妄想で、ここからが記憶です」

みたいな説明は、どうしても難しいのです。



眠る中、見る夢って

知らない人なのに、知人という設定で関わっていたり 知らないうちに場面転換していたりしますよね。


それと同じで、

潜在意識の働きどおりのイメージを体験していくのがヒプノセラピーなので

そこに妄想が仮に混ざっていたとしても、

その人に必要なものとして大事に扱います。



前世退行のあと、

「本やTVで見たことのある記憶をつなげた妄想だったんじゃないですか?」

5人中1人くらいに、そのように聞かれます。


でも、そう言う少し前、その方はセッション中に涙を流しています。

泣こうと思って泣いているのではなく、気づいたら涙が出ているわけです。


これは意図とは関係なく起こる、感情解放という癒しの現象です。


それでも最後は「妄想だったのでは?」と、なってしまう。



人って、どうしてか


「こっちがいい」と感覚で選んだあと、

「きっと○○だからだ」と自分なりに理由をつけたり


景色を見てなぜか涙が出そうになったあと、

「疲れていたからかな」と思ったり


あの人のことが気になるのに、

「たまたま優しくされただけ」と自分に言い聞かせたり。


湧き上がるように感情が動いたあと、

「こうだったから、そうなった」と理由をつけがちだったりして。



私は今でも、妄想とイメージの境目はよくわかりません。

だから、わたし的には、妄想かどうか、そこはあまり重要じゃなくて


「自分と向き合ってみよう」

そう思って、その時間を作ったことのほうが、理由づけよりもよっぽど大事です。


自分の心に向き合うって、案外エネルギーがいりますし

人によっては「怖い」ことでもあったりしますし


来てくださった時点で、結構、勇気を出したはずですし


セッションが終わったあと、その方が何を感じて、何を持ち帰ったのか

私は、そっちのほうが気になります。


好きな人のことを「たまたまだった」で片付けるためにエネルギーを注ぐより、

「大好きだった」

その尊い感覚だけで十分じゃないですか…と。



妄想だったのか、イメージだったのか。

そこに答えを出すことより、その体験を通して自分が何を感じたのか。


たぶん、理屈よりもそっちのほうが面白いこと。


心の答えは、考えて導き出すものでなく

あるものに気づいて、元々ある答えに辿り着くプロセスが大事。



「自分の心って、面白いのかもしれない」

そんな時間を過ごしてみたい方は、いつでもお待ちしています。




bottom of page