※このお話は、実際のサブパーソナリティセッションを元にしたフィクションです。
久しぶりに、旧友とランチに行った。
その後何故か、そのときの一場面がリピート再生のように頭に浮かぶ。
印象に残る場面だったわけでもない、そのぐるぐる繰り返される記憶を感じると、気分がすぐれない。
最近それで日常的に散漫になり、必要なときに集中できなくなった。
他人のことばかり考えるなんて、全然楽しくない。
ちゃんと集中できるようになりたい。
暗闇の中、スポットライトの下に分厚い防音扉がある。
扉を開けると、防音壁の部屋。
そこにぽつんと、古いラジオが置いてあった。
スピーカーに耳を澄ますと、微かに言葉が聞こえてきた。
《声の主》
やってあげた。
困っている人の為に時間を使った。
Q.
声の主、あなたは誰?
《声の主》
私は、記憶を再生する役割を担うもの。
繰り返し同じシーンを脳内に流しているのは私。
それは自分よりも弱い人間、不幸な人間を見つけて世話を焼く
そうするのが、あなたの仕事のようなものだから。
人の為、それは良い行い。
だから「自分が善行をした」と認識するまで繰り返し流す。
不幸な人に「大変だね」「何かできることを」とやっているうちは
その人より上に立つ優越感にひたれるし、こっちが明らか勝ち組って思えるでしょう?
だけど、あなたは何年か前から私の話を聞かなくなった。
前は、ここまで繰り返さなくてもよかった。
「共依存が仕事」みたいにして生きていたから。
家族の世話、話の聞き役、それを「やってあげる」ことで、自分の立ち位置をはかっていた。
それなのに「自分は共依存」と気づいた頃から、私を拒否するようになった。
心が成長したんだから、そりゃそうでしょうね。
でもね、私は言うこと聞いてもらわないと困るの。
だからリピート再生をし始めた。
先祖も親も、このやり方でずっと社会にコントロールされてきたからね。
あなただって、生まれる前からそうだった。
それを簡単には手放せないというのに、反抗するなんて。
人の不幸を喜ぶ性質は、だいぶ減ったけどまだ残っている。
「他人のことばかり考えるなんて、全然楽しくない」
ってあなた、さっき言ってたけどね
いやいや、嘘だね。
人の不幸を喜ぶこと、あるんじゃないの?
嫌いな人が倒れて入院したとき
「ざまぁみろ、早く死ね」って思ったでしょ?知ってるよ?
粘着質な友人と縁切りした後、上から目線だったくせに。
「気づけない可哀想な人」「病んでる人」ってさ。
ランチの友だちは「年中悩んでる人」
そういう負のループから抜け出せない友人を遠い目で見ている
そんな自分が好きだったんじゃないの?
「私はそっち側じゃない」ってさ。
ラジオの言い分、確かにそうで、ぐうの音も出ない。
自分には、そういう面が確かにあった。
だけどもう、今となってはそれに何のメリットもない。
散々人のことばかりやって、挙句の果てにメンタルが崩壊し、その後はどうでもよくなった。
それが自分の人生を辛くしていたということが、わかったから。
「嫌な自分もいた」と認めたうえ
改めて、自分に正直に人生を送りたい。
Q.
今の脳内再生は本当に困ってる。
もう、やめてほしいんだけど?
表向き「人の為」だけど、裏はただのゴシップ好きじゃないの。
それが善行なの?
ラジオのあんた、ねえ、教えてよ。
こっちが強気に出たら、ラジオは急に黙った。
そして少しの沈黙の後、こう言った。
《声の主》
私の言葉を聞いていたら、安心するでしょう?
「世の為、人の為、自分は良いことをしている」って。
安心できないから、今こうやってセラピーを受けている。
「まだ言うか」と、なんだか呆れてきた。
この波状攻撃、とても気持ち悪い。
Q.
ねえ中の人、いるなら姿を現してよ?
顔を見て話したいから、出てきてよ。
そう言ったら、全身にザーッと血の気が引くような感覚が起こった。
これはおそらく、声の主の感覚。
《声の主》
バレた、もう終わった。
微かに聞こえたその声と同時にラジオは消えてなくなり、声も聞こえなくなった。
【セッション後】
CMを繰り返し見てマインドコントロールされる仕組みがこれなんだと思いました。
自分で自分に呪文をかけるような設定が内側にあったんですね。
それも先祖代々、同じだったなんて。
悪霊の仕業なんじゃないかと思ったりしましたが(笑)、違って良かったです。
今回泣き寝入りせず言うことを言えて「自分、強くなったな」と、そして今の自分は昔とだいぶ変わったと改めて思いました。
もう、昔のイタい自分に戻りたくはありません。
自分を客観視したり、心の声を聞いたりするのは一人でどうにもならなかったことでした。
お手伝いしてくださって、本当にありがとうございました。
"自分の心の声"を聞けるようになったら、今までと同じ人生になるわけがないんです。
「いい加減前に進みたい」と思ったら、覚悟を決めてやるといいです。
自分の真実にじわじわと迫るとき、それは目の前の景色が一新されるときでもあります。
Qさん、ご協力をありがとうございました。