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執筆者の写真カトウ

サラダボウルみたいな

更新日:2021年6月1日



現在18歳の息子が最近

自分で自分のお弁当を作るようになった


学校の友人のお昼ご飯事情から

そのような選択に至ったらしい


おお、やればできるじゃん…!!!



そして、成長が嬉しい反面

若干感じる胸のモヤモヤ、違和感


違和感といったらもう

内観してみるしかないよね


というわけで、己の生きた道を回想してみる



遡ること26年前、結婚した頃の私

旦那に「お弁当作って♡」と言われ

それに応えて26年もの間、お弁当を作り続けてきた



だけど

息子、自力でやるようになったし

もう、いいんじゃない???

旦那のお弁当作り、私、引退してもよくない?


でも旦那、家族を養うという

非常に地に足ついたことを毎日やっている

進んでやりたいことでもないだろうに

それが、このうえなくありがたい


手作り弁当は健康維持に不可欠

健康維持のための努力は妻のすること


それに外食が原因で旦那が病気になったら

私の責任ってことにならないか…?



って、そんなふうに

いつもいつでも、大したことないことで

一人悶々と考える、葛藤する



多分、私は葛藤が趣味

そういう悪趣味



以前、占い師の鉄平さんに

(巷で”自己防衛おじさん”と呼ばれるお方)


「サラダボウルみたいな家」

と言われ、妙に納得したことを思い出した



鉄平さんが言うには


普通の家は、例えるなら”鍋”

様々な食材が煮込まれ

混然一体となり一つの料理となるように

家族一人一人が溶け合うようにいる

それが普通の家


けれどあなたの家は

例えるなら”サラダボウル”

一つ一つの食材はバラバラだけど

料理として成り立っていて

レタス一枚だけつまんでもおいしい

そういう家



確かにうちの夫婦・親子は基本バラバラの方向を見ている

家族というよりも個人主義の集団のようだと思うことがある


子どもが小さい頃はそうではなかったけど

今はよほどでなければお互い干渉もしない


だからといって、知らんぷりするでもなく

シェアハウスの仲間みたいだなと

子どもが大きくなるにつれ思うようになってきた


分担を強いることもなく

やれる人がやれることをして暮らしている



そう思えば

旦那のお弁当作りは何かが違っていた


原則任意、でも実質強制


それは”鍋の家”のやり方であって

”サラダボウルの家”のやり方ではない



そして葛藤の末、旦那に


お弁当作るの、もう引退したい

それでやらせてもらいたい


そう相談してみたら


のたうち回った時間が長かったわりには

旦那からはあっさりOKの返事をもらった


「そうしてもらうのが当たり前だと思っていたけど

それって、ただの思い込みだもんな」


と旦那は言い

今は自分で作ったり買って食べたりするようになった

私が思っていたよりちゃんとできている


どうも、私が旦那に対して母親目線だった

ちょっと考えすぎていたみたい



というわけで、この春から

私、お弁当作りを晴れて引退



これにより朝、一杯のコーヒーが

べらぼうにおいしく感じられるようになった


ほんの数分の差

ちょっと時間に余裕が生まれただけ

それが、こんなに違うものかと思う



もしかしたら

これが原因で旦那の体調に何か起こることも

今後あるのかもしれない


でも多分

うちの人間が一番望んでいることって

「自分でやりたい」だから


私は遠くから見守ることにする


「なんかダメかも」

そう思ったら、そのときまた考える


サラダボウルだからね、うちは


フレッシュな生野菜が売りなのに

煮たり焼いたりしちゃダメじゃない?


あ、ポテトサラダは加熱してあるね

そういうのが例外的に入ることはある


要するに

いつでもなんでも見直しと修正は必要



思い込みは、大体は違和感として現れ

そして、気づくタイミングで気づく



6月は

停滞していた人は、ちょっと進むんじゃない?


まだまだ油断できないけれど


少しづつ近づいている何かに向かっている



今月見える景色、楽しめますように

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