top of page

自分の足で歩く

  • 執筆者の写真: カトウ
    カトウ
  • 6月4日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月10日


なずを可愛がってくださった皆さまへ


6月2日未明、なずが虹の橋を渡りました。


享年16歳、膵炎の症状が出てその翌日に亡くなり、苦しい期間は2日ほど

闘病が短かったのは幸いでした。


たまゆらのアシスタントとして、お出迎え、お見送りの担当。

たくさんの依頼者さまとふれあってきましたが、高齢になるにつれ積極的な行動は減り

ここ2年くらいは眠っていることが殆どでした。


皆さまの優しい言葉となでなでが、なずの元気になっていました。

たくさんの愛を、本当にありがとうございました。



少し、私の気持ちが落ち着くための時間が要りそうで

今週いっぱい、お休みをいただきます。



こういうとき『感情を抑えず出す』というのは、この仕事で覚えたことです。


喪失感を抑えようとすれば、胸にきます。

例え話でなく、物理的に痛みを感じます。


抑えた悲しみは心を傷めつけ

自責があれば心に穴が開き

ロスからの回復に影響が出てしまいます。


魂は永久不滅と知っていても

人間に生まれ、人間として生きるからには、どうしても拭い去れない悲しみがあるから


込み上げてきたら、今は遠慮なく泣いていて、それは、心の傷が最小限で済むように。


なりふり構わぬ自分を遠目に見て我にかえったり

なずの物を片付けたり

祭壇を作り込んだり

また泣いたり

そんなふうに今は、喪の期間を過ごしています。


私がなずのことで歩みを止めるのを、多分、なずは望んでいないから


ちゃんと泣いて、手放すものは手放し

なずから受け取ってきた愛と思い出は忘れない

それを今、落とし込んでいる真っ最中です。



なずは抱っこを嫌がり、亡くなる数時間前まで立って歩きました。


弱々しい歩みではあったけれど、そこには、なず自身の『意思』があって


「自分で歩く」

なずはそう自分で決め、自分の足で歩いて、人間の心配など、なずにとってはどうでもいいことで


私たち家族は、なずのその力強い意思に圧倒され


尊重すべきものが、そこにはあって

面倒を見るとか、本当におこがましい考えでしかなくて。



私もまた、喪があけたら自分の足で歩いていきます。


ちょっとだけ籠ります。


bottom of page