違和感と記憶
- カトウ
- 7月10日
- 読了時間: 4分
更新日:7月22日

今年に入ってから、左の足首の違和感が続いていた。
とにかく動かしづらい。
転びそうな気がして、でも実際には転ぶことはなく。
歳を重ねると、いろんなところが固くなってくる。
だからかな?とストレッチするも
ここだけうまく伸びない、回らない、動きはぎくしゃく。
でも痛みもないから、病院に行くほどでもない。
ああ、もう。
こういうのって、気にし始めたら最後。
ちりつもで、結構なストレスになる。
どうにかしたくて、ときどきお世話になっている鍼師さんのところに行った。
こういうわけのわからない症状は、鍼灸にかぎる。
流派は、脉診流。(ミャクシンリュウ)
これが一番信用できると思っている。
先生に「昔、捻挫しませんでしたか?」と言われ
記憶を辿るも、ぱっと浮かんでこない。
「ない気がします」
そう言って、ウトウトし始めて…
そうしたら、昔の捻挫した記憶が蘇ってきた。
ここから、サイレントで一人ヒプノ(幼児退行)が始まる。
私、5歳。季節は夏。
玄関に、高いヒールのサンダルがあった。
サンダルは、当時の母親のもの。
私はしゃがんでそれを見つめ「おしゃれ~」と、かなり本気で感心している。
そして、履いてみたい衝動に駆られる。
履いて、サイズはもちろん合わない。
でも、それを履いてモデルのように歩く自分のイメージが頭の中にしっかりある。
だから根拠なく「歩ける」と思っている。
玄関のドアを開け
一段、低いところに踏み出したその時
ぐきっ、といった。
あまりの激痛に、動けない。
そして、かん高い「ヒーヒー」という悲鳴しか出ない。
母親は家にいるけれど「助けて」の一言が出ない。
それからどれくらい経っただろうか。
当時は、すごく長い時間のような気がしていたと思う。
母親と、遊びに来ていた叔母が異変に気づき
そしてやってきた叔母は、こう言った。
「なに~?歌ってるかと思った~、あはは~!」
叔母は関西人、とてつもなくノリがよい人だった。
その言葉に、「え」と驚いた。
「え」というその心境を言葉にするスキルは、当時の私にはなかった。
ニュアンス的には「そこは真っ先に『大丈夫?』じゃなくて?!」
という「え」だった。
心配してくれるんじゃないのかい…
そして、うっすら覚えた絶望感。
悲鳴しか出ず
足首が痛いという主訴を大人に伝えることもできず
関西人の叔母のノリが、東北育ちの幼児にわかるはずもなく。
そして、足を引きずって「大袈裟」と言われ。
その後、手当はあったんだろうか。
手当された記憶は出てこなかった。
「先生、小さい頃に捻挫したのを思い出しました」
目が覚め、先生にそう言った。
先生は「後遺症ってこともあるからね~」と言いながら
左足首にぐるり一周、鍼をうってくれた。
先生、なんでわかるんだろうと、時々思う。
聞くと「経験則ですよ」と言う。
私は『特殊能力』だと思っているのだけれど。
ただの違和感と思っていたそれは
小さな自分からのメッセージだったのか。
「こんなに大変だったんだよ」
一生懸命、小さな私は大人の私に夢の中で訴えた。
思いがけなくできた追体験。
当時の絶望感、そして
「サンダルを履こうと思った私が悪いんだ」
そう、自分を責めていたのもわかった。
物理的に痛いだけでなく、心も傷めていたなんて。
「小さい私、よく頑張ったな…」
最後は頑張りをちゃんと認め、チャイルドに伝える。
そうすると、報われなかった小さな心は救われる。
これが、インナーチャイルドの癒やし方。
昔の記憶を思い出したら、こんなふうにやってみるといいよ。
今は、少し動きのよくなった足首を回す運動を、ちょっとだけやっている。
小さな自分が元気に走り回れるよう、イメージしなから。
これを読んでくださったあなた
もし違和感があったなら
自分の心にチャンネルを合わせ、感じてみて。
何か、そこから動き出すものがあるかもしれないよ。
◇お世話になっている鍼灸院◇
国分はり灸院(盛岡市安倍館町)