ここ数年でブームになっている『龍神』
これについて言わせてもらいたい。
全部を否定するものではないけれど
約一年がかりで出した私の結論は
「龍神信仰は、ものにより危険」
問題の『龍神』は
人の願いを叶える前提でメッセージを送ってくる。
声は大きめのボリュームで
よく喋り、圧は強め、指示を出すこともある。
でもね、もしそれが神様なら、ヘンなんだよ。
龍神は、大昔から信仰されている。
神とは自然とか宇宙とか
エネルギー体のことであって形はない。
感じることはあっても
神が自ら、ぐいぐい来ることはない。
似たような、メッセージをくれる存在で
ハイアーセルフというのがある。
龍の姿のハイアーもいるけど、それなら問題ない。
ハイアーはその人独自の高次な人格。
他から影響を受けることのないエネルギー。
あなたの神我、あなた自身、そういう存在。
内側にいる神様みたいな感じ。
エネルギーは『愛』
直感という形で導く、内在するもの。
声量は小さめで、精妙。
ひらめきを与えてくれたり
危険を回避してくれたり
オラクルカードで教えてくれたり
大きなエネルギーに繋げてくれたり
案外地道に裏で働いていて
ハイアーを自覚していない人にも
ちゃんと直感を発信してくれている。
ゴリ押しで圧をかけてくることはなく
お金儲けやエゴ的発言も、もちろんない。
龍神を祀る神社仏閣は、また話が別。
良きエネルギー、自然、宇宙と繋がる場所。
直感が告げる気持ちのよい場所なら
行ったらいい。
よく喋る龍神に遭遇したとしたら
面白いイベントではある。
実際、私も最初はそう思った。
スピリチュアルは好きだし。
だけど、直感が働いた。
『自称龍神』は人に何かをやらせようとしてきた。
支配的な口調で、度々そういう話になるところから
「おかしい」と思った。
神は、そんなこと、しない。
最終的に、私の中の審神者は
「エゴじゃん」
「却下」の判定を出した。
『自称龍神』は毎回違う人の口を借り、私にメッセージを伝えてきた。
まるでイタコさんの口寄せみたいにして。
世界平和や人助けなど
もっともらしいことを言っていたし
その通りと思うこともあった。
だから最初は、半信半疑ながらも
距離を縮める努力をした。
ある日私は、龍神に尋ねた。
「私にメッセージがあるならば
どうして私に直接降りてこないのか」と。
それに対する龍神の返事は
「だって信じてないだろう?
他人が言ったほうが真実味があるし」
それを聞いて、思わず笑った。
それと共に、反感も覚えた。
神を信じる、信じないは自由意志だ。
本当に神なら、それはよく知っているはず。
何故私は龍神に歩み寄ろうとしていたのか?
そう思ったら、苦しくなった。
ここまでの龍神との問答は
全てメモを取り記録していた。
考察し、感じたのは
「じわじわと支配されていく流れなんだな」
誰得か。
知らないけれど。
臨時で口寄せ要員になってしまった人たちは
自分の意志とは関係なく口が動いたらしい。
因みに、その人たちには何の罪もない。
龍神ブームには、カラクリがある。
『龍使い』『龍神で金運UP』
『龍で人生大逆転』
ちょっと待ってこれ
いい話過ぎるでしょうが。
呼んだらいつでも降りてきて答えてくれる神様とか
本当の神様は多分
そんなにちょくちょく答えられないよ?
カスタマーサポートじゃないんだから。
何か人為的なものが働いているんだよ。
陰謀論は好きではないし
事実かどうかも定かではない。
だけど
「お金が欲しい」「成功したい」
そういう人間の欲が、彼らのエサなんだ。
呪術系スピリチュアルに、まんまとはまってしまえば
その人の人格の向上は、阻害されてしまう。
「私の龍神様が、いつでも何でも教えてくれる」
それは
思考停止したまま生きていくわけで。
考える力を放棄する人たちを増やす
そういう、ある意味呪術よね、これは。
「龍神様の仰せのままに」とやったこと
最後に責任を取らなければいけないのは?
自分だよね。
どんなに崇め倒して、お金を使っても
神様は責任を取ってはくれないからね。
「神の名のもとに」
そこから大抵、戦争という悲劇が始まる。
神によく似た何かに懐柔された人間たちが起こしている。
だから、盲信するの、一番よくない。
今後もし
よく喋るとか、魅力的に囁く龍神に遭遇したなら
どうか鵜呑みにしないで、一回ちゃんと疑ってほしい。
ここは、一人一人の意思で
冷静にジャッジを働かせていいところ。
それが真の世界平和に繋がっているから。
どこかの神様と繋がるんじゃなくて
ハイアーセルフと繋がるほうにシフトすれば
ほどよく健康的なエネルギーで
心地よい自然な繋がり方ができる。
運勢だって
大なり小なり好転していく。
思いと行動が一致していれば
ニセモノを見抜く力は、必ず働く。
世界中が
それぞれの生きる目的に辿り着けますように。