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カトウ

誰も傷つけないように生きていけるか


誰も傷つけないように生きるって、できる?

「私は悪くない」

それはそうなんだけど。

「お誕生会、楽しかった~!」

「お料理、美味しかった~!」

という平和な会話。

でも、その話を傍で聞いて、悲しい思いをしながら、何も話さないで、ひっそり傷ついている人がいたりする。

そんなシーンで、何か悲しいことがあった人。

かつて、お祝いを台無しにされてしまったり、祝ってもらえなかったり

ご馳走なんぞ食べたことがないという人だったり

誕生日に大事な人を亡くしてしまった人だったり。

そんな人なら、心が辛くなっているかも。

どんなに善良な人でも、ネガティブな言葉を口にしない人でも

知らないうちに誰かを傷つけているということは、生きていたら必ずあって

「言葉の捉え方次第で、傷つく人、傷つかない人がいる」

言葉を表すときは、「常にそういう人がいる」っていうことを念頭においておく必要があると思う。

「いつも傷つく側だ」って思っている人は

「傷つきにくい自分でありたい」と願って

目の前のいろんな出来事を、わざわざ「傷」にしてしまう自分がいることを

起こった出来事から一つ一つ気づいて

傷を最小限に留められる自分もいることに気づいていければいいんだと思う。

やられっぱなしってのは、ちょっとキツい人生だもんね。

先日書いたブログ、SNSで監視されて傷ついたってお話し

↓↓↓

あれのその後が面白いことになっているみたい(*>_<*)

監視された人はAさん、監視して噂を撒き散らす同僚はBとして

その後、BはAさんが別のアカウントを取得したことに気づき

からかうネタ欲しさに、Aさんの新アカウントを血眼で探し

二ヶ月後、「首をとった」と言わんばかりに、見つけたアカウントの噂を流し、からかい始めたそうだ。

しかし、Bが吹聴し回っているのは、Aさんのではなく、まったく別人のアカウントの内容。

そんなことがあっての、Aさんのコメント。

「もう、Bが可哀想になっちゃって、面白くて笑える。

こっちが罠を仕掛けたのではなく、Bは自らネットの罠に掛かった。自業自得。

今Bは、あれが別人のアカウントだとは気づいてない。

でも、気づいたときには相当恥ずかしい思いをするに違いない。

今のところ、誰も傷つけずに仕返しができている。意図せず報復する形になった。」

直接やり返すことなく、立場が逆転。

というか、世界の見え方が変わった。

自分が傷つかない世界を、Aさんは自分の中に構築した。

Aさんが、頑張って自分に起こった出来事を見つめた結果、見えた世界。

誰も傷つかないって、ありえないことではあるけれど

ちゃんと考えたら、最小限にとどめることは可能よね。

誰も傷つきませんように。

でも、それはやっぱりないから、最小限で済みますように。

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